バイクと平成仮面ライダーのおはなし

バイクと平成仮面ライダーのおはなしへようこそ

皆さんはバイクと聞いて何を想像するでしょうか? 勿論それは人によって様々な物を想像するかと思いますが、特に男性の多くは、仮面ライダーを想像したという人も中には多いのではないでしょうか? このサイトではそんな仮面ライダーとバイクに関するおはなしを、改正された道路交通法の観点や、作品として撮影する上でどのような事が行われているのかという視点などから、バイクを絡めて面白おかしく紹介していきます。また、これから平成ライダーを見る人にオススメな2作品についても詳しく紹介していきます。

バイクと平成仮面ライダーのおはなし

懐かしの初代仮面ライダー

仮面ライダーのバイクは車検にとおるのか?

ライダーは違法改造車に乗っているのか?

 さて、そんな仮面ライダーにおける重要なファクターであるバイクですが、そもそも、「仮面ライダーのバイクは車検に通るのか?」と長年疑問だった人も多いかと思います。せっかくの正義の味方が違法改造車に乗っているなんて聞くと、正義のヒーローから一気にただの暴走族のイメージがつきまといがちですが、勿論、撮影し、公共の電波で放送する為に、違法にはならないような、様々な工夫がされているため、法律上は全くの問題がありません。

 しかし、それでも気になるという人の為に、このページではそんな車検という側面から、仮面ライダーのバイクについて考えていこうかと思います。

歴代!仮面ライダーシリーズ

バイクの車検の基礎を学ぶ

250ccまでのバイクには車検がない

 そもそもバイクを実際に持っていない人にとってみれば意外かと思われるかもしれませんが、実は排気量が250cc以下のバイクに関しては車検が無いのです。これは特にバイクの車検に関して言えば、騒音や、排気ガス規制の問題で車検が行われている傾向があり、排気音や排気量が元々大したことのない250ccのバイクの場合はその規制に対して引っかからなくなるということですね。

 ちなみに初代仮面ライダーの愛器であるサイクロン号のベース車は、改造サイクロン号がホンダSL350K1、新サイクロン号の方がスズキハスラーTS-250IIIで、ともに250ccのバイクとなるので、双方ともに車検は必要ないものになっています。良く仮面ライダーは車検を通しているのかという問題が語られますが、物によっては車検がそもそも必要のないものもあるという訳です。

結論から言うと撮影による

 さて、それでは実際に、250cc以上のバイクの場合や、車などの場合だとどうなるのでしょうか? これも撮影によると言わざるを得ません。例え車検に通らず、公道を走ることが出来なかったとしても、もしも撮影を行うのが全て私道などで完結出来るのであれば、この車検に通す云々の問題はそもそも存在しないこととなるわけで、これに関しては、ある程度、どちらかが折れる形で解決している事が殆どです。

公道を走る場合は必須

 意外に思われるかもしれませんが、実は仮面ライダーのバイクにはしっかりとナンバープレートがついているものが多く、特に公道での撮影を希望しているライダーシリーズに関しては、確実に車検を通していることから、このナンバープレートがついています。なんだか、造形としてはちょっと滑稽な気もしますが、平成ライダーシリーズ第一作のクウガに至っては主人公が警察からバイクを貰うシーンなどもありますので、それ以降は、この車検という部分に関して比較的厳密になっていったのではないかと言わざるを得ません。

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車の場合はどうなのか?

 特に最新の平成ライダーシリーズ、仮面ライダードライブに関してはバイクでなく車に乗っていますが、このトライドロンという車のベース車となっている車はホンダのNSXで、栃木県警なども採用している車種なのですが、外装や装飾を大幅に変更しており、特にシートベルトに関しては通常の三点式のシートベルトでなく、競技専用の五点式シートベルトを使用するなどしていることから、違法改造扱いとなるため、法律上はナンバープレートが収得できなくなっています。それ故に、公道を走ることが出来ず、基本的には全て私道にて撮影を行っているそうです。しかし、第四話にて高速道路に進入するシーンがありましたが、その部分は果たしてどのようにしたのでしょうか?

車検に通らないものはCGで作る場合もある

 それはズバリCG処理です。フルCGで自動車を作っているわけではなく、実際に車検に通る問題の無い車に対してCG処理を行い、トライドロンの見た目になるように処理する、もしくは私道を走っているトライドロンを公道の映像と合成するなどといった方法が使われているのだと思われます。特に最近ではCGが比較的安価で精度の高いものになってきていることからも、一つの選択肢として十分過ぎるものになってきているのかもしれません。